北の国から

稚内駅からバスに乗り稚内市樺太記念館に向かった。
そこでは、南樺太は40年の短い歴史と悲劇的な最期をもってロマンティックに語られる。
しかし、それらは多くの屍の上にできていることに大泊港の整備の説明書きを見ている際に気が付いた。
20年代の内地での不景気の中、北海道、樺太は人手不足が深刻であり多くのものが北の大地に渡ったようだ。主には東北地方の貧しい農民が多かった。朝鮮からも多くの者が出稼ぎに来ていたようだ。
当時の北海道での強制労働、タコ部屋労働の様子は記されているが、樺太での強制労働、タコ部屋労働の話は聞かない。石北本線の常紋トンネルの話は有名であろう。当時の鉄道建設は過酷でありそれら北海道の話を鑑みるに樺太での強制労働、タコ部屋労働もあったのであろう。そして、それらは言葉にならずロマンティックな話の中に埋もれている。