災害と伝統について

ダムの建設で大分県下筌ダム長崎県の石木ダム、奈良県の大滝ダム、群馬県八ッ場ダムなど建設を巡って大きな反対運動が巻き起こり、未だに着工できていないところもある。 反対運動の理由として大きなものは故郷を破壊されて得られたダムの利益(発生する電力や水資源)の多くのが都市によって吸い上げられることであろう。しかし、ダムの目的はそれだけではない。河川の水量調節を行い洪水などを防ぐ働きもある。

反対運動は先程も述べたように故郷に対する、伝統的な愛郷心から来ているものが多い。そして、昔ながらや伝統に訴えることが多い。 しかし伝統を重んじるものは茅葺屋根の家に住んでいるかといえばそうではないし、耕牛を使っているかといわれればそうではない。良い面だけを伝統と称して持て囃し、悪い面を無かったことするのは少しおかしな話ではないか?(良し悪しでは無く許容できる不便さか許容できない極端な不便さかなどの分け方がいいかもしれない)

ダムや堤防が国の公共事業として行われるまでの水害も伝統に含まれるのではないだろうか?そうでないのであれば伝統を盾にした反対運動はダブルスタンダードなのでは?