農本主義革め

農本主義。農業を国の根本に置く考え方である。日本は秋津島(秋津はトンボのこと)や瑞穂国と呼ばれるように農の国。コメの国である。しかし、産業革命以降(戦後)国内の農業従事者は減少を続けている。

 

農本主義の源流は近代化、都市化に対するアンチテーゼ農村の困窮にあり、それはいまなお解決されていない。道路整備とそれに伴う車社会への移行は地方の鉄道を衰退させた。鉄道の衰退は商店の衰退へ繋がり、都市部への人口流出の原因となった。それは後継者不足と就農者減少の一番の問題である。

また、農林水産省の新規就農者へのアンケートでは収入面が一番の問題点となっている。産業革命によって生み出された拝金主義者たちにより、農業が商売化されたことが問題である。

 

理想の農村は、農民が協働相互扶助を旨とし平和に農地を耕し、豊作を祈る王がいる共同体。神社はこれら共同体の守り神であり、社稷*¹の精神的支柱である。

 

天皇は豊作を祈る王として存在して、現在の立憲君主制とは異なる。宗教的指導者のような感じだ。貨幣も市場も治安を取り締まる警察も軍隊もない。だからと言って好き勝手にやっていいわけではない。
個人の幸福は共同体の幸福と一致するときのみ許されるのだ。

”村落が国家警察の介入を極力排して、犯罪をも自治的に取り締まりうるのは、村民が皆、顔見知りでプライバシーが存在しない相互監視のシステムと最終的制裁としての村八分のおそろしさのゆえだとしている。”

介護、出産、結婚式や葬式、お祭り、治安の取り締まりなどは国の干渉を受けずに共同体の自治組織の話し合いで決める。
自治を大切にする以上、国家主義全体主義のように地方や個人の幸福を蔑ろにしてはいけない。個があって共同体があるのだ。共同体の連合が国なのだ。
そして、大切なことは上からの押し付けでは決してあってはいけない。靖国や橿原ではあってはいけないのだ。このような革め*²も下からの運動でなくてはならない。

前近代的農村共同体の崩壊は近代資本主義、中央集権体制、官僚制、法治国家からなる明治政府の樹立と地租改正による土地売買の自由化によるものだ。

"過ぎ去ったことは再び戻りはしない。それ故に破壊された自治の新しき自治への復帰というのである"

 

復古主義ロマン主義前近代的農村共同体の模倣のように写るかもしれないが、中身はそうではないのである。

"新しき自治形態へ革めることでなければならない。"